私の海馬

今朝、目覚めた途端、右腕にひどい痺れを感じた。
今までにも時々指や腕のしびれを感じたことはあるが、今日のように長くきつく続いたことは初めてだ。
幸い今日は10時から同じビルの中にある歯医者へ行く日になっている。
歯医者が終わったら、2階の脳外科に寄って帰ろう。
そう思いつつ出かけた。

4階にある歯科は十数分で終わったので、その足ですぐに脳外科へ行った。
前回行ったのは二・三年ぐらい前になる。あの頃に比べると、医院の中は大勢の人で活気付いて(?)いる。
地域密着型の若い医師ばかりのこのビルは、口コミもあってか、どこもよくはやっていて、待ち時間数時間というところもある。
総合病院並みにほとんどの科が揃っているので、ついでに耳鼻科も寄ってとか、眼科も寄ろうかしら?とか、つい気易く寄ってしまう人もいるだろう。
私もその口で、ほとんどの科はこのメディカルビルで済ましている。

受付で「院長でしたら大分待っていただくようになりますが、T医師でもいいでしょうか?」と聞かれた。
確か以前は院長一人で、脳外科も内科も診ていたと思うのだが、今は内科に一人、それと別に脳外科にも一人医師が入っているらしい。
すこし迷ったが、「はい、早い方がいいのでそのようにお願いします」と言った。

T先生は、一目私を見るなり、脳ではないと判断したようだ。
「どちらの腕のどの辺が痺れましたか」と聞く。
「左腕のこの辺です」と言いながら、私は腕の外側の辺りを掌から腕の辺りまで撫でた。
先生は大きく頷きながら、「やっぱりそうですね。それは首、肩からきているものと思います。脳の場合はそのあたりが痺れることはありません」
と言い、「でも、やっぱり脳が気になるのですよね」と、私の気持はお見通しだ。
「ええ、前々回には『海馬も萎縮していないし、全く問題ありません』と言われたのに、前回は『まぁ、年相応ですね』と言われたものですから、私の海馬、今はどうなっているのだろうと思いまして」

かくして、私は首のレントゲンと、脳のMRIの二つの検査をすることになった。
案外スムーズに呼ばれて、検査はそれほど待たずに終わった。

T先生は「やっぱり首からのものでしたね。首がもともと細くなで肩なので、負担がかかりやすくこのあたりにすこし変形がきています」と詳しく写真や模型を見せながら説明してくれた。結局は枕の高さなどを調節すれば、治療するほどではないということだった。

そして、そして、一番気になっていた脳の方は・・・
「よく小さな血栓のようなものができている場合があるのですが、そういうのは全くないですね。とてもきれいです」と言う。
それでも次の言葉を待っていそうな私に、T先生は一呼吸おいて、
「海馬の萎縮もありません」とサラリと言ってくれた。

あ〜、よかった! 何よりそれが心配だった私です。

もう7月!

寝正月で迎えた今年だったが、その内周辺が慌しくなり、いつもそれに向かって身も心も使っている間に半年過ぎてしまっていた。
その上、人生にそう何回もはないような喜びごとも重なり、そのどちらをも済ませ、その後の雑事もどうにか終えて、今なんとなく気が抜けた状態だ。

しばらく見ていなかったシニア・ナビも最近は時々見ている。
ブログのランキングも変わってしまっていて、ほとんど知らない人達が上位を占めている。
まず、私のお気に入りに入っているナビトモのブログから目を通す。

昔よく交流を交わしていた仲間達はそれぞれに、今も元気にブログを更新している。
その中に一人、一番病気からは遠いと思っていたSさんのブログには驚いた。病魔はいつ誰に向かって襲いかかってくるかわからない。しばらくは気になって時々ブログを拝見していたが、今は静かに自宅療養されているようで一安心している。

今は大きな心配ごともなく、手や心を捕らわれることもない日常が続いているが、そうなるとなんとなく物足りなくて、やっぱり忙しいぐらいの方が私の性にあってるのかな〜と思う日々・・・

ずいぶん久しぶり!

大分長い間ブログをお休みしていた。
今日久しぶりにシニア・ナビからこのブログに入ったら、2013年の11月が最後だったようだ。
それを読み返してみると、あの日の光景がはっきり思い出されて懐かしい。

あの頃は友人のことばかり心配していたのだが、最近は人のことより自分の加齢なる(♪)変化がこわい。
昔からの天然○○だけでなく、プラスアルファーの足音が少しづつ音も無く忍び寄ってくるのを感じる。以前ならこんなことはなかったのにということが、一つ又一つと増えてきているのだ。
あ〜、こわい、こわい。もう考えるのはよそう。

シニア・ナビもだいぶ様変わりしているようだが、ここしか知らない私にとってはやっぱり懐かしい場所だ。せっかくのご縁で長い間居るのだから、マイペースでまた昔のような交流を楽しんでいこう〜♪


久しぶりのデート

久しぶりにゆ〜っくりとした日々を送った。
普段は俳句三昧なのだが月末の一週間は全く句会がないので、もし何も予定が入らなかったら日帰りで京都にでも行こうかななんて思っていたのだが、そう思うと不思議なもので次々と予定が埋まっていき、結局京都へは行けなかった。


《 その中の一日目 》

その日は久しぶりに高校時代からの友人J子さんとお出かけした。
J子さんはここ数年、なにかちょっとおかしい、J子さんらしくない、なんなんだろう?・・・と、いつも私を悩ませていた。
あんなに聡明で控え目で美しく、五十年の途切れることのない長い月日を一度もいやな思いをしたことはなく、友情は揺らぐことなく育まれてきた筈なのに・・・
最初は驚きとわけもわからない不安と、どう対応していいかわからない焦燥感に、時にはイライラさせられることもよくあった。でも、最近はやっと「もうJ子さんは今までのJ子さんではないのだ。今のJ子さんがJ子さんなのだ」ということを受け入れられるようになってきた。
そう思うと、自分を卑屈に思ったり、小さなことをグチグチ言ったり、自分で判断できずに私を頼りきったりすることも、やさしい気持で受け止められるようになってきた。
こうなれるまでにはずいぶん時間がかかったような気がする。


そんなJ子さんとその日はデパートで一緒に買い物をする約束をした。
まず最初は地下の食料品売り場から始まった。J子さんが人にものを送るのと、私も孫達へクリスマスのチョコレートを選んだり手みやげのお菓子の調達をする予定。
カステラ売り場でJ子さんに、「ここで送って済んだらモロゾフのところへ来てね」と言い、私は毎年選ぶ本の形をしたチョコレートや、クッキーとの詰め合わせなど買っていた。
カステラを送り終わったJ子さんも来て、「うわ〜、かわいい」と、彼女もお孫ちゃん用にいくつかチョコレートを買った。
「あとはもう買うものない?」と言うと、「ちょっと疲れたから休憩したい」と言う。
「じゃあ、あそこへ行かない?ケーキがおいしそう」
すぐ近くにあったお店に入ってお茶とケーキで一休み。
今日のJ子さんは調子がよく楽しそう・・・・♪
これならなんの心配もないJ子さんだ。
ケーキを食べながらいろんな話もした。いつもなら、ぽんぽん話が飛んでまともな話にならないのだが、その日は一つの話をそれほど飛ぶこともなく話すことができた。
私もなんとなく以前のJ子さんと話していた時のような楽しさを感じていた。


お茶が終わったら、本日のメーンイベントであるハンカチ売り場へ行く。
以前はよくお揃いのハンカチを持ったりプレゼントし合ったりしていたのだが、今日はJ子さんが私にお揃いのハンカチをプレゼントをしてくれると言うのだ。
「大判でスカーフのように首に巻けるのにしようね」と言い、二人で似合いそうなのを探した。
あれやこれや首に巻いたりしながら、二人共に似合った一枚のハンカチを選んだ。
「本当にいただいていいの?」と言う私に、J子さんは「こんなのではすまないのだけど。いつも本当にありがとうね」と言う。「何もお礼を言われることなんてしてないよ」「してくれてるよ」・・・・・


そんなこんな言いながら、今度はお財布売り場に行く。
以前からJ子さんが財布を欲しがっていたのと、私もいいのがあったら買ってもいいなと思って・・・
たくさんの財布の中でちょっといいのがありそれを手に取って見ていると、J子さんが「あ、それがいい」と言う。
「これ、いいよね。でも、もうちょっと探してみよ」と一回り見てみたが、やっぱり私が手に取ったものが一番よかった。
「やっぱりこれがいいね。私も気に入ったから、同じのがあったら財布もお揃いで買おうか?」と、私は店員さんに聞いてみた。すると在庫はなく来年早々に閉店になることが決まっているデパートなので、もう入荷予定はないのだと言う。
こうなると先に言ったもの勝ちだ。その財布はJ子さんのものになった。
まぁ、私のは又探せばいいや・・・ でも、ちょっと残念!


その後は、8Fのロフトへカードを見に行った。娘の誕生祝のカードと孫へのクリスマスカードなどなど・・・
たいした買い物ではなかったけど、こまごました気に入ったものを買うのってやっぱり楽しい♪
でも、でも、それより何より、今日のJ子さんがとっても楽しそうでいたって普通で、一緒にいる私はそれが何よりうれしかった。
「俳句抜きで会うのは久しぶりだったね。時々はまたデートしてね」とJ子さん。
「私も久しぶりにの〜んびりできたわ。またデートしよ、しよ」と私。
当に、またこんな時間を時々持ちたいな〜と思った。

連休

金曜日から4日間、句会が続いた。

俳句に関しては不真面目で通っていた私が、なんという変わりよう・・・
一生懸命働いていた頃の私は、どうしても俳句は二の次、三の次で、あわよくば休もう、休もうとしていた。
なので、同級生でもあるM師匠はたまに吟行句会に出てきた私を見ると、大げさに目を丸くして
「うわっ、○○子さんが来てる。雨は大丈夫かな?」
と空を見上げたりしたものだ。

そんな私が今では生活の中心が俳句になっていて、月に十数回の句会を楽しくこなしているのだから、フリーな生活は人を変えるもんだな〜♪


11月1日(金)

定例吟行句会の日。
車で20分ぐらいの法然寺、仏生山公園での吟行。
10時半頃法然時に着くと、もう本堂のあたりから賑やかな人声が聞こえてくる。
その話の輪に入ると、ひとしきり先日行った東京での「ホトトギス千四百号祝賀会」の話で盛り上がる。

そうこうしつつ句帳に時々メモを取りながら歩き、一時半締め切り、7句投句の句会に備えるのだ。
私達仲間三人はその句会の幹事になっているので、仏生山公園内の会場へ皆より一足早く入り準備をする。
当日は約30人ぐらいの句会なので、机を句会用に並び替え用紙を配り、Sさんが朝早く作って持って来てくださった手作りのおはぎも配り、余った時間で作った俳句の推敲ををする。

その日は素晴らしい秋晴れの日だったので、「秋晴」「天高し」「晩秋」「木の実」「草じらみ」などなど面白い句かたくさん出ていて良き句会だった。


11月2日(土)

翌日は若手ばかり6人の会。
これも毎月一回、第一土曜日。場所は栗林公園
この句会は、ほとんどおしゃべりで始まりおしゃべりで終わる句会なのだが、それなのに、それなのに、みんなすごい句を作る刺激的な句会なのである。
適当に歩きながら作句するのだが、時には数人で立ち止まると人生話など始まり俳句どころではなくなる。
それでも会場に着く頃にはちゃんと7句でき上がっていて、目を瞠るような句を披露してくれるのだからすごい。
良き勉強になりました。ハイ。


11月3日(日)

今日は、今回ホトトギス主宰を汀子主宰から受け継がれたばかりの廣太郎主宰を囲む会で岡山まで。
これは年に一回、毎年晩秋の頃に行われる句会だ。
8時頃のマリンライナーで一路岡山まで行き、そこからタクシーで「桃太郎アリーナ」まで行く。
本日の高松からの同行者は5人。
あとは前日からから行っている人達が数人居て、広い公園のアチコチで会って挨拶。

そうこうしていると、わざわざ毎月岡山から高松の句会に来られているAさんやSさんが走ってきて、私達の出席をとても喜んでくれてあちこち案内して下さった。いつ会っても明るく人を楽しくさせてくれる二人だ。
廣太郎主宰とも公園で出会って、先日の祝賀会のご挨拶などを申し上げる。

句会場のロイヤルホテルに入ると、もう約60人ほどの人でいっぱいだった。
今日は4句投句の3句選。
同行した5人とも好成績で主宰の入選にも入り、帰りのマリンライナーの中での会話もよく弾んだ。
雨催いの一日だったが、楽しい一日だった。


11月4日(祝日)

この日は毎年の市の恒例行事「玉藻文芸祭」の日。
受付を頼まれていたので、朝9時までに行く。
年に一度、流派を超えた集まりの楽しみな句会である。

10時からの受付に、もう9時半頃から来る熱心な人達もいる。
他の派で俳句をしている従姉とも年に一度会える日なのだが、お互いに好成績を競う時もあるものだから、今朝も受付に来ると「今日は○○子、○○子を連発したらダメよ」などと言う。
「その言葉そのままお返しする」などと私も返す。

蓋を開けると、今回は99人の出席で、選者は15人。
それぞれの選者の選ぶ10句の中の上位一、二位に賞状と賞金(と言っても些少)が出る。
自慢するようだが、なぜかこの句会ではいつも我ながらびっくりするような好成績で、賞金がたんまり入る時がよくある。
そんな時はモチロンいつものように「おごれコール」で仲間達とお茶をして大半は消費する。
今回は私は不調だったので、仲間のTさんが特選二つ、準特選一つをいただいたものだから、Tさんのおごりで7人がお茶をごちそうになった。

「悪いわね〜」と言いながら、みんなちっとも悪そうな顔をせず、Tさんを祝福しながらお茶をする。
これはどちらにとっても楽しいひとときなのだ。
ごちそうになりながら、私はやっぱり大枚はたいてもごちそうする方がやっぱりいいなと思った。
来年はまた奢るほうに返り咲きたいものだと思った。

やっぱりこれがいいかな?

しばらく同じデザインが続くとちょっと飽きてくる。
いろいろ探してみるが、なかなかコレ!と思うものに巡り合えない。
結局今使っているのは、はてなダイアリーさんでブログを書き始めて初めて使ったテンプレートに戻っている。

もうちょっと雰囲気を変えてみたいと思ったけど、いっぱい見ていると疲れてきた。
好みはそう変わらないもので、やっぱりこれが一番いいやと思った。
また飽きてくるかわからないけど、しばらくこれで行ってみよう♪

ベニシアさんの四季の庭

京都大原に住むベニシアさんのテレビ番組「猫のしっぽ カエルの手」は毎週録画して見ている。
何年か前に放映されたものの再放送だが、大原の緑溢れる景色と、ベニシアさんの庭の草花が画面いっぱいに美しく、何度見ても飽きない。

私は録画した番組を全部そのまま保存していて時々見ているが、いつかはディスクに落として永久保存版にしておくつもり。
そこには衣食住すべてを含む彼女の手作りの生き方そのものが生き生きと描かれていて、どれ一つとっても消すには惜しい。
それに又、音楽が良い。スペイン在住でベニシアさんの友人川上ミネさん作のピアノ曲が、作品を通して流れていて心癒される。
そして、その曲をバックに朗読されるベニシアさんの詩がまたいいのだ。

その彼女のドキュメンタリー映画が、「名画座」のような小さな映画館”ホールソレイユ”で上映されていることがわかり、昨日早速行ってきた。
”ホールソレイユ”はもう何十年も行っていなかったので、その映画館の古さ、汚さには驚いたが、でも、その上映作品は上質で、見たいと思う映画があと二作品ほど予定されていた。

映画は画像が悪く、テレビで見るより色も悪かったが、しかしテレビでは触れていなかった彼女の人生が語られていた。
日本へ来て最初の結婚で二男一女を授かったものの、十三年の結婚生活に終止符を打ったこと。
そして、現在の夫(九才年下)と再婚して、もう一人男児ユージン君が生まれた。

今の生活しか知らなかった私は、ベニシアさんはなんの苦労もなく幸せな人生を生きてきた人だとばかり思っていたのだが、そうではなかった。
前夫との娘ジュリさんが十代の終わり頃未婚の母となり、それと同時に統合失調症をわずらった。しばらくは何が起きたかわからず呆然としたした日々を過ごしたが、現実のこととして受け止めてからは毎日が戦いの日々だったと言う。
今ではジュリさんの病状も治まっていて、その時生まれたジョー君は「神様からいただいた天使のような子」と彼女が言う通り、かわいくやさしい子供に育っている。

それだけでない悲しいできごとを、ベニシアさんはもう一つ経験している。
それは現在の夫が他の女性に心を移して、しばらく帰ってこなかったこと。その時ばかりは彼女も寝込んで何もできなくなり15キロぐらい体重が減ったらしい。
そして、しばらくして帰ってきたものの、それからの何年かは一番辛い日々だったらしい。
今、年老いて助け合って生きている二人を見ていると、とてもそんな時があったようには思えなかったのだが・・・

人生は一筋縄ではいかないものだとしみじみ思った。
彼女の場合は、その悲しみや苦しみのすべてを庭づくりで溶かしてきたのだろう。
そして、いろんな哀しみが結晶して彼女のステキな詩となったのだろう。
幸せそうなベニシアさんの顔に時々現れる翳のようなものの意味が、この映画を観て初めてわかった。